なぜ私は同人小説を書こうとしているか

 はてなブログの「今週のお題」が「自己紹介」ということで、せっかくの良い機会ですし何かしら自己紹介めいた記事を書こうかと思っていたのですが、普通の単なる自己紹介では面白くありません。なので、ここは一つ、どうして同人小説に取り組もうとしているかについて、簡単に書いてみようと思います。

 もっとも、私はいわゆる一次創作(オリジナル)の小説にはほとんど取り組んだことがございません。これまでに主に取り組んできたのは二次創作の方です。どういうジャンルであるかと言いますと、プロフィールのアイコンから想像がつく方もいらっしゃると思いますけれども、ポケモンポケットモンスター)です。

小説を書き始めたこと自体は随分前から

 もっとも、最初からポケモンだった、というわけではありません。初めのうちは、何とは申し上げられませんが、別の作品の二次創作小説を書いていました。とは言っても、今から考えるとかなり稚拙で、そこら辺りの小学生や中学生が考える程度のものに過ぎませんでしたけれどもね。それに、ありがちな話ではありますが、完結までに至らなかったことも多々あったものです。

 このような、妄想にまみれただけの〝作品〟を書き始めたのは、もう十数年前になるでしょうか。今と比べると、確かに私は下手なものを書いているだけでしたけれども、それでも楽しかったのは間違いないと言えます。色々苦労はありましたが、あの頃は幸せだったのでしょう(周りの世界を知らないという意味でも)。

 ただ、そこから徐々に積み重ねていってレベルアップ、と行きたいところだったのですが、別の趣味に嵌ってしまって、色々と手をつけてしまったがために、しばらくは作品を創ることから離れてしまっていたのですね。なかなか、小説一筋、というわけにはいきませんでした。

 もしここで小説にかまけ続けていたら、また歴史は違っていたのだと思います。若いうちから物をずっと書き続けている方と比べると、私のように数年単位のブランクがあるだけでも、実力面で大きな差があることを痛感させられます。この差をどのようにしても埋められそうにはないですから、今の時点から頑張ってゆくしかないのは、言うまでもないことですが。

ポケモンの小説を書き始めたのは十年ほど前の話

 つい昨日のような出来事ではありますが、私がポケモンの二次創作小説に手を出したのは、かれこれ十年ほど前の話になります。

 きっかけは単純なものです。当時閲覧していた某コミュニティサイトで、私も書いてみたいと思った、というものなのです。ここで我慢しておけばまた話は違ったのでしょうけれども(そして、私は我慢することには賛成したいと思っています)、抑えが効かず、相も変わらず稚拙なものをいくらか書いて投稿しておりました。その中には完結したものもありましたし、結局完成しなかったものもありました。

 ここで順調に活動が続けられれば良かったのですが、私生活で悪い出来事が立て続けに起きてバタバタしてしまった結果、同人活動にも悪影響が出てしまいました。何とか作品を創り上げようとはしましたけれども、お世辞にも良いとは言えない精神状況では、まともに手につくはずなどありません。結局、他人にも散々迷惑をかけてしまい、一旦は同人から手を引くこととなりました。

 なお、この時点で制作していた某作品がきっかけで、とあるポケモンのことが好きになっていました(今はそれほどでもありませんが、思い入れ自体は深いものがあります)。二次創作によって愛着が増してゆく、という話は決して否定できるものではありません。

 ともあれ、離れてからしばらくした後、pixivである作品(もう公開していませんので作品名は伏せておきます)を見つけた結果、またしても作品を創りたいという欲求が沸々と湧いてきたのですね。それで、当初Twitterでアカウントを所有していた私は、様々な同人者と知り合いになることを目指しつつ、作品を創り上げようとしていました。

Twitterに振り回されてばかりだった同人活動

 同人活動は一見好転しそうに見えていたところですが、結局のところ、Twitterこそが諸悪の根源だったと言わなければなりません。少なくとも、私にとっては大変に相性の悪いツールでした。

 私のTwitterに対する姿勢は、以下の記事を書いて以来、ほぼ変わってはいません。

 どうも、Twitterを見ていると、創作活動に真に打ち込みたいというよりは、創作をダシにして交流したいだけの人が目立っています(恥ずかしながら、私もその一人だったと認めなければいけません)。Twitterで受ける作品も、作品の質そのものよりも、むしろネタの即興的な面白さの方が重要視されるように思います。これでは創作活動もクソもあったものではないです。向上心なんていうものはなくなってしまいますし、刹那的にしか物事を考えられなくなってしまいます。これがTwitterのあまりよろしくないところです。

 上の文章について少し補足を入れようと思います。

 Twitterにおいては、色々な方が自分の作品をアピールしようとしています。それ自体は悪いことではありません。できるだけ多くの方に見てもらいたいという気持ちは誰しも持っているものでしょうからね。ただ、どれだけ大勢の人に受け入れられているか、だけが全てではないのです。もしかするとTwitterでは全く持て囃されていない作品こそが傑作である可能性も否定できませんし、Twitterで有名な人だからと言って良い作品を書けるとは限りません。むしろ、自作のアピールやそれをダシにした交流に夢中になりすぎて、他の部分に悪影響が出てしまっては、それこそ問題というものです。

 もちろん、私生活あっての同人活動なので、私生活の方を立て直そうとするために同人活動から一時的に手を引くということは良いことです。私自身、プライベート面ではトラブル続きだったので、本来ならば同人活動よりも私生活を重視すべきでした。ですが、Twitterにおける同人界隈では、なぜか、どんな事情であれ創作を止めるのは悪いことだという風潮がありました(多分今でもそうなのだと思います)。ですから、多くの人はこぞって「作品を創っています」アピール(あるいは「創ろうとしているんです」アピール)をやっていたものです。私もそうでした。どうしてこのようにしてしまったのか、今から思えば不思議でなりません。

 はっきり言って、「私は創作しているんですよ」アピールは、周りから見ればうざったいの一言でございます。そんなものに手をつける暇があったら、実際に作品を創る方がよほどマシです。作品や姿勢のアピールは後でいくらでもできますが、優先順位としては創作そのものよりもはるかに下だと思います。しかしながら、大事なものが何であるかを見誤らせてしまう作用がTwitterにはあるようです。私生活を立て直すのが先だったのに、それを先延ばしにしたまま、Twitterにかまけていました。これでは良い作品ができるはずもありませんよね。

 ただ、周囲の方々のお力添えもあって、徐々に暮らし向きが上がってきた私は、おのずと上のようなことに気づきました。そして、今まで私がTwitter上で付き合ってきた方々は、実は単に意識が高いだけの人たちだったのではないか、とすら思うようになりました(本人たちにはその自覚はないようですが)。Twitterばかり見ていても、生活が一向に良くなるわけでもないですし、フォロワーさんたちがいざという時に駆けつけてくれて、身も心も助けてくれるというわけでもありません(できてせいぜい助言くらいでしょう)。

 そう感じた結果、私はTwitterを離れることができました。今は、何とか仕事を頑張りつつ、自分のペースで創作に取り掛かることができています。以前よりもはるかに良い生活ができていると言わなければなりません。

私は書くことが好きだからこそ小説を書き続けている

 上にもあったように、私は途中で何度か小説の同人活動からは離れています。ですが、今でも何とか続けようとしているのです。それはなぜか、考えてみることがしばしばあるのですが、何度でも同じ結論に行き着きます。すなわち、私は書くことそのものが好きだと言わざるを得ません。そうでなければ、どこかでパッタリとやめているはずでしょうから。

 大勢の方々に見てもらおうとか、少しでも感想が欲しいとか、そういったことよりも、書くことそのものに喜びを感じています。ですからブログの記事だって好き好んで書いているわけですし、小説のネタも思いついたところから書き出していっています。承認欲求がないわけではありませんが、私自身が本当にやりたいのは、そういうところなのでしょう。

 作品の評価自体は、私自身はすぐにされなくても良いと思っています。一年後や十年後、あるいは百年後に、どこかの誰かが目をつけて、「こりゃ良いものを読んだ」と思ってくれれば、それで良いのです。

 断筆したくてもできない性質の人間であることは、私の精神構造上、明らかな話であるように思います。言い方を変えるなら、「文章を書く」という行為に並々ならぬ拘りを持っているようです。もちろん、仕事や私生活は疎かにはできませんから、適度に折り合いをつけていきたいところではありますが、好きなことを無理にやめるわけにもいきません。少しでも良いから、周りに振り回されず、自分のペースで何とか続けていこうと思います。