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同人コミュニティ特有の同調圧力から逃れるために

 私がかつて属していた同人コミュニティにおいては、どんどん作品を創っていった方が良いんだ、というような同調圧力があったものです。このようなプレッシャーは、おそらくどのようなジャンルにおいても多かれ少なかれ存在するものと思います。というのも、誰かが作品を作らなければ同人というものは成り立たないから、なのですね。誰も作品を作ることがないと、そもそもコミュニティが成立することすら危ういというものです。

 もちろん、みんなこぞって作品を創るべし、という圧力が良い方向に作用することもあるでしょう。良い緊張感がもたらされ、作品を創り上げる原動力として働いてくれ、結果的に作品そのものが仕上がれば、万々歳というものです。コミュニティの維持に貢献することにもなりましょう。

 しかしながら、この同調圧力に常に晒されているのが良いかと言うと、必ずしもそうとは言えないですよね。プレッシャーというものは、時として悪い方向に働くものだと思います。例えば、大事な学力テストで力み過ぎてしまって頭が回らず、本来の実力が発揮できなかったことは、誰しも経験したことがあることでしょう。それと同じで、あまりにも圧力を感じ過ぎていると、作品を書かなければいけないという思いに押し潰されてしまい、却って作品の完成が遠のくということが十分あり得ます。

 ですから、時には頭を冷やすために圧力から逃れる時間が必要になってきます。仕事や学業にも休憩時間が必要なのと同じ理屈で、気持ちを緩めつつ冷静に物事を見返さなければならないときがあるものなのです。そして、素晴らしい閃きというものは、決まってこういう時に訪れてきます。作業中には見えてこないものが休憩しているときになると見えてくる、ということもあるでしょう。

 ただ、ここ最近はインターネット、特にSNSの台頭により、冷静に物事を考えられる時間が徐々に減ってきているように思います。SNSで重要視されるものと言えば人と人との繋がり様ですので、利用し続けている間は絶えず同調圧力に晒されており、なかなか引っ込むことが難しいです。ですが、SNSを利用しているということがただちに創作につながるかと言うと、決してそうではありません。作品を創らなければならないと思いつつ思わされつつ、SNSで何と発言しようか考えてしまっているわけですね。冷静に見ると、極めて滑稽というものです。

 はっきり申し上げますと、作品を創るべし、というようなプレッシャーを受けておきたいのは、実際に作品を創るときや同人コミュニティで活動しているときだけで良いのです。他の同人者と何気ない雑談をしているときにまで、義務感を抱く必要性は全くもってありません。なので、そもそもTwitterに代表されるツールを使わなければならない理由は全然ありませんし、場合によってはむしろそれらのツールは害悪にすらなってきます。どうでも良い会話とコミュニティに関わる会話がごっちゃになってしまう危険性を孕んでいますからね。Twitterやpixivなんて、別に使わなくても良いのです。

 私としては、創作しているときの自分と、ブログの記事を書いているときの自分、家事をしているときの自分、あるいは仕事に励んでいる自分とは、はっきり区別したいと思っています。このようにすることで、気持ちの切り替えがはっきり行えますし、同調圧力を必要以上に感じることもないでしょう。それに、前の記事にも書いたことですが、交流は普段は必要最小限度に留めておき、たまに訪れる機会を存分に楽しむようにした方が、良い感じで創作活動できるのではないでしょうか。

 同調圧力が要らないとは言いません。上にも書いたように、時には圧力が良い効果をもたらすこともあるでしょう。しかし、プレッシャーに押しつぶされて再起不能になってしまっては、元も子もありません。SNSやコミュニティに入り浸りすぎて、せっかくの自分の才能の芽を潰すことのないようにだけは、くれぐれも気をつけておきたいところですね。