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同人における交流は本当に大事か

 最近の私は、どちらかと言えば物語を書くことができればそれで良いと思っていて、あまり交流には積極的ではないところがあります。仕事上必要になってくるコミュニケーションならまだしも、会話が強制されることのない同人の世界においては、自分の方からはあれやこれやと言うことなど、ほとんどありません。その代わり、作品を創ることに関しては、できる範囲で一生懸命になりたいと思っています。

 ですが、世の中には色々な考え方があって、作品を創ることも大事だけど交流も重視したい、という方も少なからずいらっしゃいます。交流できなければ同人の意義を見失うと言うのですね。そういう人たちにとっては、気になっている人と会話したという事実こそがステータスの一つとなっていて、逆に会話ができなければひどく残念な思いを抱きもします。

 確かに、同人というものは、同じ志を抱く者たちが作品を出し合ったり、あるいは作品について語り合ったりするものですから、ある程度の交流は必要になってきましょう。自分の世界に入り浸ってばかりいるような人がまともに同人活動できるかと言えば、そうとは言いがたいものです。作品を公開できずに燻ったままで終わるのが関の山というところでしょうか。

 けれども、最近の同人の様子を見ていると、要求されている交流の量やコミュニケーションスキルが少しずつ高まっている気がするのです。そこまで会話しなくてはいけないのか、と思うこともしばしばあります。昔のオフ同人のことはあまり分からないのですが、少なくともインターネットにおける様子を見ていると、以前は交流熱心な人はそれほどいませんでした。今では、同人に関わる者は毎日のようにこぞって会話を交わしている印象が見受けられます。

 もっとも、この現象はTwitterなどのSNSが急激に発達したことによるところが大きいです。一昔前のコミュニケーションの手段としては、手紙や文通に始まり、やがては電子メール、チャットや掲示板といったものが定番となっていきました。SNSが有力な手段になったのはつい最近のことです。

 SNSでは、コミュニケーションが実に手軽に行えてしまいます。声には出しづらいことも、メールでは送りづらいことも、SNSでは本当に気軽に言えるものです。その結果として、コミュニケーションの量自体が増え、交流範囲も広がりを見せてゆく一方の人が続出したのではないでしょうか。

 このようにコミュニケーションが綿密になるというのは、一見良いことのように感じられるかと思います。特に同人においては、もともとコミュニケーションが苦手であることを自称されている方が少なくないですから、交流上手となるのは当事者にとっては好都合なのかもしれません。

 ですが、重大な問題点もあります。交流に気をとられてしまうばかりに、作品を創る手がおろそかになってしまうことが頻発しているのではないでしょうか。その結果、作品の質の低下にもつながりますし、ひいてはジャンル全体のレベルが落ちることにもなりましょう。

 無論、無理に作品のレベルを上げろ、とは言いません。そもそも、同人に質を求めるのを強いてはなりません。同じ志の集いであれば、何だって良いわけですからね。しかし、あからさまな手抜きを見過ごしたり、交流のやりすぎのために作品が仕上がらずに終わったりすることは、決して好ましいとは言えません。交流の材料となるものがあってこそ同人は成り立つものですから、同人者を名乗っている者は、私生活に支障をきたさない範囲で創作に取り掛かっていただきたいところです。

 私個人の考えを申し上げますと、同人における交流なんて、最低限度で構わないと思っています。もちろん、いただいた感想にはなるべく返事をすることを考えていますし、誰かに自分の作品を公開前に読んでほしいと思っているときには、それなりのメッセージを送ることにしています。ですが、これらは社会を渡る上で求められているものと何ら変わりはしません。それ以上のものなど必要がないように思われたからこそ、私はTwitterを、ついでにpixivも退会したのですね。

 ついでにもう一つ。同じ志を持つ人と話をするのは、たまに行うからこそ心地の良いものなのです。Twitterのように常日頃から見たり見られたりする関係のものは、はっきり言って疲れのもとですし、そのうち飽きも来るものでしょう。Twitterなどに張り付いていてよく疲れないな、と様子を見ていて(あるいは昔の自分を振り返って)思うのですが、これは私が交流にそれほど関心を持たなくなった故なのでしょうか。

 ともあれ、同人のあり様が以前と大きく変わってきているのは事実と言わざるを得ません。交流重視の流れも当分は続いてゆくものなのでしょう。ですが、同人において本当に必要なのは果たして何なのか、考えてみる余地は十分にあると思います。