読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私には「Magic TrackPad 2」はどうやら使いこなせそうにはない

Apple Magic Trackpad 2 MJ2R2J/A

Apple Magic Trackpad 2 MJ2R2J/A

 実を言うと、Apple純正のトラックパッド「Magic TrackPad 2」を購入してからおよそ4ヶ月くらいが経っています。ですが、最近はもっぱら無線マウスに切り替えており、「Magic TrackPad 2」は全然使っておりません。やはり、私にはトラックパッドよりもマウスの方が合っているように思うのです。

 ここで理由をああだこうだと申し上げることもできるのですが、トラックパッドとて道具ですから、人によっては合っている方もいらっしゃるでしょうし、私のように合わない人もいる、というだけの話で落ち着くような気がします。なので、この際、取り立てて問題にすべきではないように思います。

 ただ、この「Magic TrackPad2」の長所と短所については書いておくべきでしょう。簡単に以下にまとめておくことにします。

長所

  • マウスと比べて、あまりスペースを取らない。
  • マウスよりも複雑な操作がワンタッチでできる。
  • バッテリーが比較的長持ちしやすい(使用頻度にもよりますが、一ヶ月くらいは持つと思います)。

短所

  • いちいちトラックパッド上に手を置いて指を滑らせなければいけない。マウスだと持って動かすだけなので操作が楽チン。
  • 操作の種類が多くて、どういうやり方で指を用意すれば良いのか分からないことがある。また、そのために誤って意図しない別の操作をしてしまうことがある。

マウスと「Magic TrackPad」、どちらをとるべきか

 これはもう人によって変わってくると思います。(難しい言い方になりますが)ポインティングデバイスに何を求めているかによるでしょう。

 一つの機器で複雑な操作までカバーしたい方は「Magic TrackPad 2」で十分やっていけますが、シンプルさを求めたいのでしたら普通のマウスで構わないでしょう。「Magic TrackPad 2」の価格はおよそ10,000円と高いですので、無理に急いで手をつける必要はないように思います。

 今回、私はどうしてもマウスのシンプルさが恋しくなったのでマウスを選び直すことにしました。結局、無駄遣いにしかならなかったような気もしますけれども、これも致し方ないと割り切って、今ある環境を大切にしていかないといけないな、と思った次第でございます。

iPadの執筆環境について

 私はここ最近はもっぱらiPadで文章を書いています。MacWindowsを使うことはほとんどありません。一応、MacBookSurface Proが欲しいとは考えてはいるのですが、正直のところ、文章をみっちり書くだけのためにわざわざ高額なパソコンに手を出すのもどうかな、とも思っている次第です(iPadも十分高額ですが)。今持っているMac miniLenovoのノートパソコンもiPadほど使いこなしているとは言い難いですし、ね。

 そこで、この記事ではiPadで文章を書くということについて考えていきたいと思います。

なぜiPadなのか

 まず、私がiPadでの執筆にこだわる理由について書いていきます。

 iPadの特徴としてよく挙げられるのは、小さいこと、軽いこと、薄いことなどでしょうが、このような特徴を兼ね備えたノートパソコンも続々と出てきているので(そもそもAppleからもMacBookMacBook Airが出ています)、昨今では特に目立っているとは言い難いところがあります。

 ファイル管理方式についても、MacWindowsに搭載されているような従来の一括管理形式ではなく、アプリごとに使用ファイルが割り当てられているものとなっています。この辺り、モバイル向けではなくデスクトップと同等のOSを搭載しているSurface Proとは一線を画しており、人によっては馴染めないところがあるかもしれません。

 それでも、私からすれば、そうだからこそiPadを使いたいのです。アプリさえ開いてしまえば、書きたいものにすぐにアクセスできる環境こそが素晴らしいと思います。目的のファイルを開くために余計な操作をする必要などありません。ウィンドウも基本的には一つのみ(場合によっては二つ)ですから、他のウィンドウに気を取られるといったことはありません(ただし、プッシュ通知機能という厄介なものはありますが)。

 それに、iPadに限らず、タブレット端末は常時起動させておくのが基本だと思いますが、そのために書きたいときにすぐ書けるのも魅力だと思います。従来型のパソコンのように長い起動時間に煩わされることなどないのです。

 以上のことから、私はiPadを執筆用として使っています。ただし、特性上あまり込み入った操作はできません。あくまでも書くという行為に専念したいときに使うべきものだと思います。

執筆用アプリ

 アプリの選定は重要です。自分にとって良いものを使わないと、書くという行為そのものが嫌になってくることでしょう。昨今はそれなりに良いアプリがだいたい揃っていますが、万人にとって良いものというのはなかなかないと思います。だからこそ、様々なブログを見たり実際に使ってみたりして、自分に合っているものを選び抜くことが大切になってきます。

 私の使っている執筆用アプリは何かと言いますと、「Ulysses」です。アプリの中でも群を抜くほどの高額なものですが(iOS版だけで3,000円もします)、価格相応と言うべきほどの使いやすさを誇っていると思います。他のアプリ(「iA Writer」や「Scrivener」など)に手をつけていた時期もありましたけれども、結局はこの「Ulysses」に幾度となく戻ってきています。

Ulysses

Ulysses

  • The Soulmen GbR
  • 仕事効率化
  • ¥3,000

「Ulysses」の詳細については他の記事に譲るとして、主な特徴だけ以下に挙げておきます。

  • Markdownをベースとしたプレーンテキスト方式
  • 見え方(行間の度合いや一行あたりの文字数など)を自由自在に編集できる
  • 執筆中は他の要素が一切表示されない
  • 自動バックアップ機能が標準で搭載されている
  • iCloudによりiPhoneiPadMacとの間でシームレスな同期が可能(Dropboxを通じてWindowsとも同期ができる)

 ちなみに、ただ「書く」という点に関して見れば、「Ulysses」はMac版よりもiOS版の方が執筆しやすいのではないかと思います。というのも、Mac版ではファイル一覧などを画面から消すのに一手間かかりますが、iOS版ではそんなことを気にする必要もなく、一覧の方から勝手に消えてくれるからです。

外部キーボード

 本格的な執筆を行う上では外部キーボードは必須だと思います。ソフトウェアキーボードでも執筆ができないことはないのですが、画面が大きく覆われる上に、いちいちiPadを何度もタッチするのが非常に面倒で仕方がありません。使えるのならハードウェアを使った方が良いでしょう。

 iPad用のキーボードは色々出ていますが、私が使っているのは、Apple純正の「Magic Keyboard」です。Mac用としても使えますが(と言うよりそちらがメインかと思います)、iPad向けにも最適化されており、これを超えるiPad用のキーボードはないと思っています。

Apple Magic Keyboard - JIS MLA22J/A

Apple Magic Keyboard - JIS MLA22J/A

 この「Magic Keyboard」の主だった特徴は以下の3点です。

  • 日本語版(JIS形式)でも問題なく使える
  • 「英数キー」「かなキー」により入力モードをワンタッチで変更可能
  • バッテリーが長持ちする(ウィジェットにてバッテリー残量が確認可能)

 以上の他にはあまり目立った特徴はないのですが(マルチペアリングもできません)、それでも十分すぎるほどの能力を発揮してくれます。タイプもそれなりにやりやすく、申し分のない一品だと思います。

終わりに

 Apple製品ユーザの中でも、執筆をMacBookで行うかiPadで行うか、あるいはiPhoneでやるのかは意見の分かれるところでしょう。私はiPadの利点を活かして執筆を続けていきたいと思っているのですが、人によってはMacBook Proでないとやってはいられないでしょうし、フリック入力で何でも済ませてしまうことも十分にあり得ます。

 ただ、iPadでの執筆はなかなか良いものなのではないかと思い、そういう人たちに向けてこの記事を書いた次第です。わざわざMacBookSurface Proに手をつけなくても、だいたいのことはiPadで十分やっていけるでしょう。無論、同人誌を作ろうとなると話が違ってきますが。

自分の人生にとって何が大切かは、自分で決めて良い

 タイトルだけ見ると、当たり障りのない、世間でもあちらこちらで言われていることですが、この言葉の持つ重さについて考える機会というのは、実際のところ、あまり無いように思います。そこでこの記事では、少しではございますが掘り下げてゆくことにします。

 同人コミュニティにおいては、創作活動を優先しようとする者が本当に多いですし、創作そのものを好き好んでいる人でいっぱいです。そのような人たちが集まってコミュニティが出来上がっているわけですから、皆で創作をもっと盛り上げようとしてゆくことも当然のことだと思います。そうでないと、恐らく同人コミュニティは成り立たないでしょう。

 ですが、誰もが創作を何よりも大切にしなければいけないかと言われると、それは違うと思うのですね。もちろん仕事よりも同人や創作の方を重要視したい方はたくさんいらっしゃるでしょうし、そういった方たちに喧嘩を売るつもりはありません。とは言え、誰しもがそういう類の人間であるわけではありますまい。どうしても創作よりも仕事や実生活の方を優先したい方だっていらっしゃるかと思います。

 いったい何が言いたいかと言いますと、何らかの事情で同人や創作から離れることは、全般的に見て必ずしも良くないことではない、ということなのですね。もっとも、同人コミュニティにとっては喜ばしくないことなのでしょう。関わってくれる人が減るのですからね。一方で、創作から手を引いた人の人生という道を考えたときに、それが絶対にマイナスに作用するかと言いますと、そうとは限りません。むしろプラスの方に働くことだって決して少なくありませんよね。

 それ故に、特に同人に関わっている者たちは、色々あってそこから離れてゆく者たちを悪く言うのを止めていただきたいと思います。残念がりたい気持ちは嫌というほど分かりますが、できることなら清々しい笑顔で見送ってほしいものです。自分の人生において何が重要かは、その人が決めて良いのですからね。他人がとやかく口を挟む権利はありません。

 同人というものは、決して義務ではありません。生活がかかっている商業作家ではあるまいし、本来は締め切りの有無など各自で勝手に決めれば良いものです。それに、いつ始めても良いですし、いつ止めても構わない性質のものでもあります。なので、仕事のために同人を軽視せざるを得ない人が出てきたとしても、それは仕方ないというものです。

 仕事が大事か、同人が大事か。どちらを選ぶかは個々人の価値観に委ねられるべきものであります。誰かが強制して良いものではありません。例えば、同人を大切にしている人がいわゆる仕事人間を見下すのは、本来ならばあってはならないことです。逆に、仕事熱心な人たちが同人趣味のある人を馬鹿にするのもよろしくないことでございます。

 人生において何が重要か、なんて誰かが勝手に決めて良いものではありません。同人や創作がどうしても止められないのなら、それに熱心に取り組むことも一つでしょう。しかしながら、様々な事情により同人コミュニティから身を引こうとする人を無理に引き止めてはなりません。その人にとって仕事や介護などの方が大事なら、そのようにさせてあげれば良いではないですか。

 どうも同人コミュニティにおいては、一旦同人に関わったら何とかして継続していかなければいけない、というような圧力が無意識のうちに掛かっているように感じます。もちろん、誰もがそれに従う必要はありません。ただ、たまにしか作品を創らないような方には、精力的に活動している方が羨ましく見えてくることはあるでしょう。しかし、誰もが必死こいて作品を拵える必要などこれっぽっちもありませんし、そのような雰囲気のあるコミュニティをこれからは目指さなければならないのです。

 もう一度書きますが、人生で何を重視すべきかは、自分で決めてしまえば良いのです。仕事の多忙さ故に同人をやめたとしても、それは決して悪いことではありません。一時期だけ見ると良くないことかもしれませんが、長期的に見ると良い方向に行くことも大いにあり得ます。同人に関わっている者たちは、このことを忘れないようにしていただきたいものです。

同人コミュニティ特有の同調圧力から逃れるために

 私がかつて属していた同人コミュニティにおいては、どんどん作品を創っていった方が良いんだ、というような同調圧力があったものです。このようなプレッシャーは、おそらくどのようなジャンルにおいても多かれ少なかれ存在するものと思います。というのも、誰かが作品を作らなければ同人というものは成り立たないから、なのですね。誰も作品を作ることがないと、そもそもコミュニティが成立することすら危ういというものです。

 もちろん、みんなこぞって作品を創るべし、という圧力が良い方向に作用することもあるでしょう。良い緊張感がもたらされ、作品を創り上げる原動力として働いてくれ、結果的に作品そのものが仕上がれば、万々歳というものです。コミュニティの維持に貢献することにもなりましょう。

 しかしながら、この同調圧力に常に晒されているのが良いかと言うと、必ずしもそうとは言えないですよね。プレッシャーというものは、時として悪い方向に働くものだと思います。例えば、大事な学力テストで力み過ぎてしまって頭が回らず、本来の実力が発揮できなかったことは、誰しも経験したことがあることでしょう。それと同じで、あまりにも圧力を感じ過ぎていると、作品を書かなければいけないという思いに押し潰されてしまい、却って作品の完成が遠のくということが十分あり得ます。

 ですから、時には頭を冷やすために圧力から逃れる時間が必要になってきます。仕事や学業にも休憩時間が必要なのと同じ理屈で、気持ちを緩めつつ冷静に物事を見返さなければならないときがあるものなのです。そして、素晴らしい閃きというものは、決まってこういう時に訪れてきます。作業中には見えてこないものが休憩しているときになると見えてくる、ということもあるでしょう。

 ただ、ここ最近はインターネット、特にSNSの台頭により、冷静に物事を考えられる時間が徐々に減ってきているように思います。SNSで重要視されるものと言えば人と人との繋がり様ですので、利用し続けている間は絶えず同調圧力に晒されており、なかなか引っ込むことが難しいです。ですが、SNSを利用しているということがただちに創作につながるかと言うと、決してそうではありません。作品を創らなければならないと思いつつ思わされつつ、SNSで何と発言しようか考えてしまっているわけですね。冷静に見ると、極めて滑稽というものです。

 はっきり申し上げますと、作品を創るべし、というようなプレッシャーを受けておきたいのは、実際に作品を創るときや同人コミュニティで活動しているときだけで良いのです。他の同人者と何気ない雑談をしているときにまで、義務感を抱く必要性は全くもってありません。なので、そもそもTwitterに代表されるツールを使わなければならない理由は全然ありませんし、場合によってはむしろそれらのツールは害悪にすらなってきます。どうでも良い会話とコミュニティに関わる会話がごっちゃになってしまう危険性を孕んでいますからね。Twitterやpixivなんて、別に使わなくても良いのです。

 私としては、創作しているときの自分と、ブログの記事を書いているときの自分、家事をしているときの自分、あるいは仕事に励んでいる自分とは、はっきり区別したいと思っています。このようにすることで、気持ちの切り替えがはっきり行えますし、同調圧力を必要以上に感じることもないでしょう。それに、前の記事にも書いたことですが、交流は普段は必要最小限度に留めておき、たまに訪れる機会を存分に楽しむようにした方が、良い感じで創作活動できるのではないでしょうか。

 同調圧力が要らないとは言いません。上にも書いたように、時には圧力が良い効果をもたらすこともあるでしょう。しかし、プレッシャーに押しつぶされて再起不能になってしまっては、元も子もありません。SNSやコミュニティに入り浸りすぎて、せっかくの自分の才能の芽を潰すことのないようにだけは、くれぐれも気をつけておきたいところですね。

同人における交流は本当に大事か

 最近の私は、どちらかと言えば物語を書くことができればそれで良いと思っていて、あまり交流には積極的ではないところがあります。仕事上必要になってくるコミュニケーションならまだしも、会話が強制されることのない同人の世界においては、自分の方からはあれやこれやと言うことなど、ほとんどありません。その代わり、作品を創ることに関しては、できる範囲で一生懸命になりたいと思っています。

 ですが、世の中には色々な考え方があって、作品を創ることも大事だけど交流も重視したい、という方も少なからずいらっしゃいます。交流できなければ同人の意義を見失うと言うのですね。そういう人たちにとっては、気になっている人と会話したという事実こそがステータスの一つとなっていて、逆に会話ができなければひどく残念な思いを抱きもします。

 確かに、同人というものは、同じ志を抱く者たちが作品を出し合ったり、あるいは作品について語り合ったりするものですから、ある程度の交流は必要になってきましょう。自分の世界に入り浸ってばかりいるような人がまともに同人活動できるかと言えば、そうとは言いがたいものです。作品を公開できずに燻ったままで終わるのが関の山というところでしょうか。

 けれども、最近の同人の様子を見ていると、要求されている交流の量やコミュニケーションスキルが少しずつ高まっている気がするのです。そこまで会話しなくてはいけないのか、と思うこともしばしばあります。昔のオフ同人のことはあまり分からないのですが、少なくともインターネットにおける様子を見ていると、以前は交流熱心な人はそれほどいませんでした。今では、同人に関わる者は毎日のようにこぞって会話を交わしている印象が見受けられます。

 もっとも、この現象はTwitterなどのSNSが急激に発達したことによるところが大きいです。一昔前のコミュニケーションの手段としては、手紙や文通に始まり、やがては電子メール、チャットや掲示板といったものが定番となっていきました。SNSが有力な手段になったのはつい最近のことです。

 SNSでは、コミュニケーションが実に手軽に行えてしまいます。声には出しづらいことも、メールでは送りづらいことも、SNSでは本当に気軽に言えるものです。その結果として、コミュニケーションの量自体が増え、交流範囲も広がりを見せてゆく一方の人が続出したのではないでしょうか。

 このようにコミュニケーションが綿密になるというのは、一見良いことのように感じられるかと思います。特に同人においては、もともとコミュニケーションが苦手であることを自称されている方が少なくないですから、交流上手となるのは当事者にとっては好都合なのかもしれません。

 ですが、重大な問題点もあります。交流に気をとられてしまうばかりに、作品を創る手がおろそかになってしまうことが頻発しているのではないでしょうか。その結果、作品の質の低下にもつながりますし、ひいてはジャンル全体のレベルが落ちることにもなりましょう。

 無論、無理に作品のレベルを上げろ、とは言いません。そもそも、同人に質を求めるのを強いてはなりません。同じ志の集いであれば、何だって良いわけですからね。しかし、あからさまな手抜きを見過ごしたり、交流のやりすぎのために作品が仕上がらずに終わったりすることは、決して好ましいとは言えません。交流の材料となるものがあってこそ同人は成り立つものですから、同人者を名乗っている者は、私生活に支障をきたさない範囲で創作に取り掛かっていただきたいところです。

 私個人の考えを申し上げますと、同人における交流なんて、最低限度で構わないと思っています。もちろん、いただいた感想にはなるべく返事をすることを考えていますし、誰かに自分の作品を公開前に読んでほしいと思っているときには、それなりのメッセージを送ることにしています。ですが、これらは社会を渡る上で求められているものと何ら変わりはしません。それ以上のものなど必要がないように思われたからこそ、私はTwitterを、ついでにpixivも退会したのですね。

 ついでにもう一つ。同じ志を持つ人と話をするのは、たまに行うからこそ心地の良いものなのです。Twitterのように常日頃から見たり見られたりする関係のものは、はっきり言って疲れのもとですし、そのうち飽きも来るものでしょう。Twitterなどに張り付いていてよく疲れないな、と様子を見ていて(あるいは昔の自分を振り返って)思うのですが、これは私が交流にそれほど関心を持たなくなった故なのでしょうか。

 ともあれ、同人のあり様が以前と大きく変わってきているのは事実と言わざるを得ません。交流重視の流れも当分は続いてゆくものなのでしょう。ですが、同人において本当に必要なのは果たして何なのか、考えてみる余地は十分にあると思います。

創作よりももっと大事なこと

 ここ最近、私は実生活がバタバタしていることもあって作品を世に出せていないのですが、もしかするとそれで良いのかもしれません。作品を出せないということは、ある面では幸せなことなのかもしれないのです。

 以前の私は、どちらかと言うと、ひどく創作に毒されていまして、どうしても創作活動をしなければいけない、と思っている節がありました。私が主に取り組んでいたのは小説だったということもあって、暇さえあれば何か書かなければいけない、書こうとしなければいけない、などとずっと思い込んでいました。その結果、私生活で支障を来してしまうことも多くありました。

 ですが、何も創作ばかりに時間を使わなくたって良いのです。世間一般に言う「趣味の範囲内」であれば、ゲームをやったり、本を読んだり、音楽を聴いたり、あるいはどこかに出かけたりしても、一向に構いません。そうやって、仕事や家事とは違う「オフの時間」を満喫するということは、決して悪いことではありません。

 問題なのは、例えば趣味でやっている創作が、そのうち学業や仕事、家事にまで大きく影響を及ぼしてしまうことです。趣味と仕事と家事と、どれに重きを置くかは人それぞれであって、もちろん正しい答えなんてないのですが、それでも趣味が他の生活に必要な領域に食い込んでしまうというのは、よろしくないことです。かつての私はこのことに気づかず、創作一辺倒の生活を送ろうとしていたのですね。それで、私生活に無理が生じてきてしまい、創作に必要な体力も気力も失い、巡り巡って満足に創作ができなくなったことも多々ありました。

 ただ、趣味でやっている限りであれば、創作は必ずしも義務ではありません。書きたくなければ放っておいても良いし、他に大事なことがあるのなら、そちらに時間を費やすに越したことはないのです。作品を創ることに力を入れるのは構いませんが、別に力を入れなくても良いというものです。自分にとって創作の必要がないと感じられるのであれば、わざわざ汗水垂らして言葉を選び抜きながらああでもないこうでもないと悩む必要もありません。

 自分の生活を最低限でも良いから成り立たせるということと比べたら、創作なんてものは全然大事ではありません。ですから、自分よりももっと創るのが上手な人がたくさんいるのだから、無理に自分があえて出しゃばる必要もない、という考え方も十分にあって良いと思います。一方で、少なくとも、作品を完成させることばかりに気を囚われてしまったがために、実生活がおろそかになるようなことは、できることなら避けておきたいところです。

Twitterやめました

 去年の暮れ頃に、Twitterのアカウントを抹消しました。たぶん、もう二度と戻ることはないと思います。

 なぜそういうことをしたのかと言えば、少なくとも私にとってはTwitterが面白くなくなったから、なのですね。それに加えて、Twitterを閲覧していても時間と労力の無駄であるように思えてきたのです。

 Twitterでつぶやくネタを考えるくらいなら、Twitterをやらずに本を読んだりDVDや映画を見たりする方がましなのではないかな、と思わざるを得ません。そちらの方が、おそらくは創作のネタの足しになるでしょうし、気晴らしにもちょうど良いのではないかと思っております。

 それに、曲がりなりにも同人活動をやっている身でありますから、Twitterであることないこと書くよりは、少しでも創作活動に時間を割いたり、自分の好きな作品について思いを巡らしたりする方が、理にかなっているのではないでしょうか。

 どうも、Twitterを見ていると、創作活動に真に打ち込みたいというよりは、創作をダシにして交流したいだけの人が目立っています(恥ずかしながら、私もその一人だったと認めなければいけません)。Twitterで受ける作品も、作品の質そのものよりも、むしろネタの即興的な面白さの方が重要視されるように思います。これでは創作活動もクソもあったものではないです。向上心なんていうものはなくなってしまいますし、刹那的にしか物事を考えられなくなってしまいます。これがTwitterのあまりよろしくないところです。

 私は創作に打ち込むことこそが同人活動を続けてゆく上で重要だと考えております。交流なんて、やっても良いけど、別にやらなくても良い性質のものです。ただ、交流なしで同人活動をやってゆくには、現実がうまくいってなければいけないので、まずは現実の方を良くできれば良いかな、と思っている節はあります。

 話がちょっと逸れましたが、Twitterも別にやっても良いけど、やらなくても良い類のものだと思っています。少なくとも同人活動を続けてゆく上では、私にとっては必要のないものです。それよりは、創作の糧になるものを集めて回った方が良いと思います。