ようやくiPhone 7を買ってみたら、「3D touch」に惚れてしまった

 今更ながら、iPhone 7をとうとう購入してしまいました。

 動機としてはすごく消極的なもので、今まで使っていたiPhone 5sがもはやボロボロの状態だったからなのですが、安値かつ小さいiPhone SEの方は以前から品薄状態が続いているようで、止むを得ず7の方を選択したのでした。

 SE(もしくは5s)と7の大きな違いと言えば、デバイス自体の大きさの他に、もう一つあります。皆さんご存じとは思いますが、「3D touch」を搭載しているかどうかです(SEには搭載されていません)。

 この「3D touch」という機能が思いのほか便利で、この機能を一度体験してしまったら、どうしてもっと早く7(もしくは6s)に機種変更しなかったんだろう、と後悔してしまうほどです。実際、UlyssesやOmniFocusで早速その効果を実感しており、とんでもない機能が出てきたものだな、と驚嘆を隠すことができません。

「3D touch」の具体的機能については色々なところで語り尽くされていると思うので、この場で詳細を書くというようなことはしませんが、要するにワンタッチで複雑な操作を可能にするというところにこの機能の魅力があります。OmniFocusなら簡単に新規タスクの追加ができますし、Ulyssesであれば新しいシートを追加したりシートの検索が行えたりできるのです。このようなことが以前よりも容易にできるようになったというので、使わない手はありません。

 少しでも仕事や作業を効率化させたいという方にとっては、この「3D touch」というのは大きな味方になってくれると思います。ちょっとアイデアが思い浮かんだ時などに、サッとファイルを追加して書き込むというようなこともやりやすくなっています。確かに7や6sはそれなりに値段はしますが、それだけの価値はすぐに見出せると思います。

 最後に、本当に蛇足ですが、7には従来のiPadやノートパソコン顔負けのプロセッサが搭載されているということで、4sや5sに比べますと本当に処理が早いです。操作があまりに快適に行えてしまえるので、以前のようにもたつきが感じられず、ちょっとばかり名残惜しい気分にもなります(苦笑)。

結局ThingsからOmniFocusに戻ってきてしまった

OmniFocus 2

OmniFocus 2

  • The Omni Group
  • 仕事効率化
  • ¥4,800

 前に当ブログで書いたことがあるかと思いますが、私は以前から色々なToDo処理アプリを試してきては、OmniFocusに戻ってくるということを繰り返しております。というのも、OmniFocusのアウトライン式のやり方が私にとって最も肌に合っているように感じられるからなのですね。そして、最近、また似たようなことが起こってしまいました。あのThingsですら、〝OmniFocusの牙城〟を崩すには至らなかったようです。

 私は新しくなったThingsを数週間ほど使用しておりました。最初のうちは、OmniFocusよりも何だかやりやすいかな、と思っていたのです。確かにThingsには、シンプルにタスクを処理できるようにするための魅力がこれでもかと詰まっているのですが、一方で新しいタスクを記述するのはOmniFocusの方が圧倒的にやりやすく感じます。これは、Things(というよりも一般的なタスク処理アプリ)が既に用意されているタスクを処理することを主眼にしているのに対し、OmniFocusはGTDがベースになっていて、どうしてもタスクを記述することを肝としなければならないからではないかと推察されます。

 私など、やりたいこと、あるいはやるべきことが、どうしてもあちらこちらから舞い込んでくるタイプの人間なので、Thingsのタスク収集能力では間に合わないことも多々ありました。これはもう運用でどうにかなるレベルではなく、アプリの性質上の問題なので、どうしようもありません。こうして私はOmniFocusに戻らざるを得なくなった、というわけです。

 まあ、次々とタスクを記述したいのであれば、究極的にはTaskPaperを使えば良いということになりましょうが、こちらはiPhoneiPadとの連携が少し心もとない部分がありますので、iOS版の純正アプリがあるOmniFocusを使う方が無難かな、と思います。ただ、OmniFocusもiOS版のアプリがもう少し使いやすくなれば良いのにな、とは感じますけれどね(苦笑)。iOS版だとThingsの方が使いやすくて便利なので、その辺りが非常に悩ましい問題ではあります。

勉強に打ち込むか小説を書くかで迷っていた話

 今更な話で申し訳ないのですが、仕事が終わってからの自由時間、あるいは休日の暇な時間をどう過ごせば良いかでちょっと迷っていた次第です。以前なら小説に打ち込むことしか考えていなかったのですが、資格の勉強にチャレンジしたい欲求がここのところ湧いてきていまして、小説を書くのとどちらを優先すべきかで悩んでおりました。

 仕事で出世をするためだったら、無論、資格の取得に挑戦してみた方が有益でしょう。職場の方々に自分の実力をアピールするのに、資格ほど便利なものはありません。しかしながら、考えてみるに、私は必ずしも仕事の出世を目指しているわけではないのですね。出世をすれば得られるお金も増えてくるでしょうが、その分仕事も大変になります。次々と入ってくる仕事に対してうまく立ち回れるかというと、私の場合、たぶんそうはいかないと思います。あらかじめ整理された仕事だけをこなすのが、もしかすると精一杯かもしれません。専門的なスキルが求められる内容ならともかく、予想外の事態に絶えず見舞われがちな管理職には、全くもって向いていないと思います。

 してみると、私は敢えて資格の勉強などには無理に挑戦しない方が良いのかもしれません。それよりは、趣味で小説を書いたり読書を行ったりするなどして、私生活の充実を図ってみる方が、長期的に考えればずっと有益なのかもしれません。もちろん、作品の完成を急ぐのは厳禁というものですし、鑑賞する作品をいたずらに増やすばかりでは良くないのですが、自分の生活の部分を良くしてゆくというのは、仕事に出ることと同じくらい重要ですから、少しずつ試みていけば良いのではないでしょうか。

 今までは、出世を目指すのか目指さないのかで迷っていた節がありましたが、とりあえず、この話は塩漬けにしておいて、自分のために本当に必要なことに向き合っていきたい所存でございます。目先の利益にとらわれすぎることなく、色々な文章を書きつつ日々の生活を大切にしていけたら、おそらくそれだけで十分に良い暮らしというのが成り立つものなのでしょう。

 ……こういう感じで、いつもうまい具合に自己解決できれば良いんですがね(苦笑)。

つべこべ言わず、自分の読みたいものを書いていけば良いのではないか

 ふと思ったことですが、商業で小説を書いているのでない限りは、ただひたすらに自分の求めているものを追求しても良いのではないでしょうか。特に同人の場合、需要なんて気にしていては何もできなくなってしまいます。他人に受け入れられるかどうかを考えている時点で、それは同人活動のあるべき道からは外れてしまうことになります。

 私などは、ものを書くときにどうしても受けるかどうかを考えてしまいがちだったのですが、そのような考え方である限りは、自分にとって納得できるものは書けはしないのですね(他人視点ではともかくとして)。同人というのは、まず自分が満足するということが第一ですから、他人のことばかり気にしていてはどうしようもありません。

 ですから、一次創作をやりたければ一次創作をやれば良いし、二次創作の方が向いていそうならそちらをやれば良いのです。ここは自分の欲求に素直に動いた方が良いでしょう。商業でやっているのではないのですから、売れるアイデアを出そうとか、一人でも多くの人に受け入れられるにはどうすれば良いかとか、そういったことを考えるのはあまりよろしくありません。

 商業においては、売上の良し悪しは活動の続行を判断する上で重要な要素ですが、同人においてはそうではありません。むしろ、売上についてあれやこれやと考えてしまうようでは、同人作家としては二流、いや、三流と言うべきでしょう。同人作品で稼ぐこと自体は悪ではありませんが、売上と同人活動とは切り離して考えなければなりません。

 同人活動がうまくいっているかどうかを判断する材料になるのは、何と言っても、自分が読みたいものを書けているか、あるいは自分にとって納得のゆく活動ができているか、この辺りなんだと思います。ここで注意したいのは、あくまでも「自分が読みたいもの」である点です。「どこかの誰かが読みたいもの」ではありません。同様に、「自分にとって納得できるもの」であって、「どこかの誰かが納得できるもの」ではないのです。同人においては、「自分の満足度」こそが何よりの行動の軸となります。

 もちろん、他人から刺激を受けたりアイデアをもらったりして、その結果作品が出来上がること自体は良いと思います。ですが、その場合、自分にとって良い経験と見なせるのでなければ、同人活動としては失敗しています。逆に言えば、どんな場合であれ、自分に利益があって、初めて同人活動が実りあるものとなるのですね。

 同人において目指すべきなのは、あくまでも自分が作品を書くことを楽しむことです。肌に合いそうな作品だけを書いていても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。一方で、肌に合わなそうな作品にはなるべく手を出さないことも重要です。自分が楽しめなければ、同人をやる意味がありません。

 同人作家を名乗っているのならば、他人の行動や作品を非難する前に、自分の書きたいものを書くようにしましょう。その方が、たぶんお互いに幸せになれます。聞いてるか、昔の自分(苦笑)。

MacBook Proが欲しかったけれども、MacBook Airにしておいて良かったと思う

 先の記事で何度か申し上げているように、私は以前からMacBook Proを入手したくて仕方がなかったのですが、先日購入したのはProではなく、Airの方でした。そして、数日使ってみて、とりあえず今はAirで十分事足りるのかな、と思っている次第です。Proほどのハイスペックな環境を求めずとも、やりたいことは十分に取りかかれているくらいですからね。

 そもそも、どうしてMacBook Proを求めていたのか考えてみたのですが、一つにはやはり見栄だと思います。特に15インチのProはかなり目立ちますから、皆の注目を引くこと間違いなしです。「あいつ、大きなMacBook持ってる、羨ましい」と思われることでしょう。それに、今のMacBook Pro 15は、たとえTouch Barが搭載されていなくとも、200,000円以上もする高額商品ですから、それだけでリッチな気分にも浸れるものです。13でさえ、最低でも150,000円から200,000円は見ておかなければ入手できません。

 ところで、見栄と言いますと、もう一つ、「最新技術を追っている俺様」というものもありますね。最近のAppleの製品全体において顕著になっていると思いますが、MacBook Proについても、とかく技術のすごさがアピールされがちです。Touch Barを始めとして、2つから4つほど搭載されたUSB-Cのポート、そして最近のAppleの代名詞とも言えるRetinaディスプレイ。これらはAppleの技術の結晶ではありますが、盲目的にこれらを追いかけようとするのは、やはり見栄が関係しているのではないか、と思うのです(別にそれが悪いとは言いません。私にもそのようなところがありますし)。

 しかしながら、MacBook Proは、MacBook Airや12インチMacBookとは違い、基本的には高スペックを誇っていることが主な特徴となっているパソコンです。高スペックということは、それだけ値が張っても致し方ないということであります。そして、ここからが重要ですが、高性能のパソコンが必要なユーザでなければ、そのようなものを買っても仕方ないのですね(3Gや4G回線を使うことがまずないのにiPadのCellular付きモデルを買ってしまうことを考えてみてください)。少なくとも、あれやこれやと使いこなす自信が私にはありませんでしたから、あえて安くて済むAirを選んだのです。この選択は完全な正解とまでは言えないでしょうが、少なくとも妥当な判断だったかな、と思っています。

 私は、例えばAdobeのアプリ群(Photoshopなど)を使うことはまずありませんし、動画編集作業やゲームなどをすることもほとんどありません(昔はRPGツクールのゲームを嗜んでいたことがありますが・苦笑)。やることと言えば、Ulyssesでブログの記事や小説などを書いてみたり、DayOneで記録をつけたり、Numbersでちょちょっと表計算をやってみたり、iTunesで音楽を聴いてみたりと、本当に初歩的な部分だけになっています。CPUもメモリも、そんなに必要とはしないでしょう(とは言え、以前から持っていたMac miniのメモリが4Gで、これはさすがに少ないとは思いましたが)。将来的にバリバリ作業するようになってCPUもメモリもグレードアップしなければならないとなると話は別でしょうが、そうでなければ、MacBook Proの出る幕ではないかな、と思います。

 ですから、少なくとも今はMacBook Proに手を出したとしてもお飾り程度の存在にしかならない可能性が高く、それはそれで困ったことになります(私はMacユーザではあってもMacのコレクターではありません)。必要になればそのときに買うことにしておいて、今はMacBook Airをバリバリ使うことを考えた方が良いのではないか、と思っている次第です。先ほども書いたように、Airでもだいたいの作業はストレスを感じることなく十分快適にできますしね。

ポケモンファンがポケモンファンでなくなるとき

 以前当ブログに書いたように、私はポケモンの二次創作小説を書いておりました。どうしてかと言いますと、当然のことですが、ポケモンというコンテンツが大好きだったからです。ゲームも好きでしたし、キャラクターも好きでした。ポケモンセンターにもよく足を運んでまして、グッズを大量に購入しに回っていました。一昔前は、何もかもがポケモン尽くしだった日さえあったと思います。

 ですが、最近はポケモンからちょっとずつ離れていっているような気がします。ポケモンのゲームはここ2、3年全然やっていないですし、グッズも売り場に足こそ運ぶものの、全くもって買わなくなりました。ゲームやグッズを手放したり破棄したりするようにもなっている次第です。ちょっと前に自分がやっていたことを考えると、まるで変わってしまった感じがしています。

 とは言え、今でもちょこちょことポケモンの二次創作小説を書いていることは書いています。ですから、まだポケモンに対して気はあるのでしょう。ですが、今年発売予定だという新作のことなどあまり気にはならなくなっていますし、ポケモンについてあれやこれやと語る気力ももはやなくなってきていると思っています。目を向けようという気すら起こらなくなってきているくらいですからね。

 そういうことなら、いっそのこと、ポケモンからは金輪際離れてしまって、一次創作小説でも書いた方がいいのではないかな、と思うこともあります。ただ、一次創作はほぼやったことがないに等しく、自信が全くありません。まずは簡単なもので良いから何か一個は仕上げた方が良いのでしょうが、まずそういう気が湧いてこないので、何か別のことをやった方が良いのかもしれません。

 いずれにせよ、ポケモンとの距離が徐々に遠くなってきていること、これは事実だと思います。以前ほどにはポケモンに熱狂的にならなくなってきているのです。こういうことになろうとは、おそらく去年や一昨年の私は、たぶん想像にも及ばなかったことでしょう。

 ですが、果たして離れているから良くないかと言えば、別にそうだとは言いたくありません。ただ単に、時を経るにつれて興味の対象が移り変わっていってしまっただけです。きっとそうなのだと思います。ですから、ポケモンに再び強い興味を抱くことがこの先あるかもしれませんし、もう二度と、かつてのようなほどにはならないかもしれません。ただ、どちらでも良いのです。人生どう転がるか分かったものではありませんし、たった一つの正しい生き方などありはしないのですからね。

 ポケモンから離れているということを実感する日がやってこようとは思いもしませんでしたが、別にそれで大きく損をしたとか、そう言う風には思っておりません。ただ、興味が薄れてゆくことを自覚しているからには、もうそろそろファンの引退も近づいてきているのかな、と思ってしまいます。熱狂的ファンだった頃のことを思い返すと感慨深いものがありますが、過去のことを懐かしんでばかりもいられません。今は、今の時点で強く興味のあることに取り掛かる方が、よほど良い成果をもたらすものでしょう。おそらく、それで良いのです。

「時間を無駄にすること」について

 私はどちらかと言うとあまり時間を無駄にしたくはないと考えるタイプで、遊んでいる暇があるのなら何か生産的なことをしなければいけないとも考えてしまいがちです。どうしても遊ぶということに抵抗を感じてしまいやすいのですね。そういうことをしている暇があるのならば、何か別のことができるのではないか、と思いがちなわけです。

 しかしながら、最近、このようなスタンスが自分の中で少々変わりつつあるように思います。要は、「空いた時間をいかに有意義に過ごすべきか」を考えるのではなく、「有意義かどうかは別として、いかに時間を無駄にするか」を考える方が、より楽な生き方ができるのではないかと思っているのです。少なくとも、休日は後者のような考え方でいる方がやりやすいです。

 そもそも、作業の効率化なんていうものを考えるべきなのは仕事のときだけで十分というものです。仕事では無駄な時間や作業というものは極力廃した方が良いですが、例えばの話、趣味や私生活にかかわる時間においては、そういったことを考える必要は全くもってありません。それどころか、いかに時間を無駄に過ごすかを考える方が、仕事との差別化、あるいはメリハリがついていて、とても良いと思います。

 このように、仕事と私生活とで別々の生き方を模索するというのは、ある意味でオン・オフの付け方の工夫の一つともなり得ます。常日頃同じ事を頑張り続けることなど不可能ですから、どこかでスイッチを切るように心がけなければなりません。いつも頭を使う仕事をしている人ならば、たまには頭を使わずに済むようなことをやれば良いでしょうし、思い切って体を動かしてみるというのも手でありましょう。このような時間は一見無駄なように思えますが、実を言うと、人生をよりよくするためには必要な時間なのかもしれません。

 一週間に一度、土曜日か日曜日に3時間ほど一人でカラオケをしなければ気が済まないという人がいるとしましょう。他人から見れば、カラオケに費やす時間は一見無駄なように見えますし、常識的に考えれば有意義とは言えません。人によってはやめるように勧めたくなることだと思います。また、カラオケを3時間となると、それなりにお金もかかりますから、それを何か別のことに使った方が良いのではないか、と言いたくもなるでしょう。ですが、当の本人にとっては、こうやって長時間カラオケをすることこそが何よりの息抜きになるのだと思っています。空いた時間は潰せますし、気分転換も図れます。また来週も仕事を頑張っていこう、という気になれるというものです。逆に言えば、何かしらの事情でカラオケをすることができなければ、途端に調子を崩してしまうことになりかねませんし、有意義な時間を過ごすことが難しくなってしまいかねません。「無駄な時間」というのは、そういうものです。

 しかしながら、最近は、空いた時間であってもなるべく有意義に過ごさなければならない、というような論調が多く出ているようで、却って物事がやりにくくなってしまうような事態が頻発しているような気がします。こういう考え方もありと言えばありでしょうが、人によっては窮屈な生き方になってしまいます。「無駄な時間」を合間で挟まないことには、ゆとりをもった暮らし方はできないと考えている人もいるくらいです。

 ただ、一つ言えることがあるとしますと、「時間を無駄にすること」というのは、心や体のメンテナンスに貢献している、ということです。どんな人であっても、定期的に調子を整えていかなければ、より良く生きるというのは困難を極めます。そのためには余力を蓄えていけるように「遊び」を作り出す必要があります。それは「時間を無駄にすること」によって初めて可能となるのです。

 ですから、せっかくの休日は、少しくらい、積極的に時間を無駄にしに行くことがあっても良いのです(「積極的」というところが重要です)。先ほど挙げたカラオケでも良いですが、映画を観たり、どこか遠いところに日帰りで出かけたりするのも悪くないでしょう。自分に合った手法を確立することこそが肝心です。誰かに強制されて行うようなものであっては、その時点で「遊び」は作り出せません。

 私自身は、Macと戯れることこそが何よりの時間の無駄遣いだと思っています。もちろん、こればかりではやっていけません。そこで、ゲームセンターやショッピングモールに出かけてみたり、観光名所に立ち寄ったりすることも結構やっています。他にも良いものがあれば良いのですが、なかなかそこまで見出せてはいないので、これから何とか見つけ出していきたいと思っています。