読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新しい「Things」が出たというので買って使ってみた

 MaciPhoneでToDoアプリと言えば、それこそ星の数ほどあって、それぞれに良いところとあまり良くないところがあると思います。

 例えば、私が今まで愛用していた「OmniFocus」というアプリは、アウトライン式にタスクをずらずらと記述できて、色々な方向からタスクを俯瞰できるのが長所でありましたが、それほど使わない機能も多く、やや融通がきかない印象も強かったです。早い話が、痒いところにはなかなか手が届きづらかったわけですね。

 一方で、この記事で紹介する「Things」というアプリは、シンプルさを突き詰めていった結果の一つなのだと思います。それでいて、Mac標準のリマインダーよりはかなり分かりやすい仕上がりになっているのではないでしょうか。

 現在、Mac版、iPad版、iPhone版ともに20%割引のセール中とのことなので、欲しい方はお早めにお買い求めください。

Things 3

Things 3

  • Cultured Code GmbH & Co. KG
  • 仕事効率化
  • ¥4,800

Things 3 for iPad

Things 3 for iPad

  • Cultured Code GmbH & Co. KG
  • 仕事効率化
  • ¥1,900

Things 3

Things 3

  • Cultured Code GmbH & Co. KG
  • 仕事効率化
  • ¥960

拾い上げ型のタスク管理アプリ

「Things」の特徴としては、他のアプリのように期限が迫ってきているタスクがずらずらと表示されるのではなく、やりたいものから順序良くこなしていけるタイプのものになっているというところです。

 例えば、資格取得のために教科書を一冊終わらせたいとしましょう。そこで、普通のタスク管理アプリなら、「いつまでに終わらせるか」という意味で期限を設定するものだと思われます。しかしながら、これでは、本当に定まっている期限と、そうでないもの(自分で勝手に決めたもの)の区別をすることができません。あるいは、「いつまでに終了させるべきか」の判断がなかなかつきにくく、何度も延期してしまうこともしばしばあります(苦笑)。そのまま、教科書を一読するのがいつまでたっても終わらない可能性も考えられてしまいます。

 一方で、「Things」においては、「いつまでに終わらせなければならないか」という期限の他に、「いつ始めるか」を決めることができます。そこで、教科書のこの章については明日から始めて、その次の章については来週以降に始める、というようなことが可能となっています。「何日までに終わらせる」ではないところがミソです。そのような設定ができるので、タスク管理については結構融通はきくかな、と思っています。

 その中でも、「今日から取り掛かりたいもの」については、「今日」というメニューの中に表示されています。多くのアプリでは「今日」と言うと「今日中に終わらせなければならないもの」となっていますが、「Things」においては意味合いが異なるのです。期限が特に定まっていなくても、「今日やりたいこと」は「今日」に表示させてしまうことができるわけですね。

 そういった意味で、「Things」は拾い上げ型のタスク管理ツールなのだと思います。

ユニークな「今夜」項目

 今日中には間違いないのだけれども、夜になってから取り掛かりたいタスクも存在するものと思います(例えば「日記をつける」「お風呂に入る」など)。そういう時は、「いつ始めるか」のリストの中から「今夜」というものを選べば、自動的に「今日」のうちの「今夜」の部分にまとめられます。

 これによって、タスクの取り組む時間帯の指定も少しはやりやすくなっているかな、と思います。もちろんリマインダー(通知機能)も使えますが、これだけだと不安ですし、リマインダーは通知を出してくれるだけなので、根本的な解決に至らないことも多いのです。

いわゆる「インスペクタウィンドウ」がない

 多くのアプリに搭載していると思われる、あのでかでかしい「インスペクタウィンドウ」が、このアプリにはありません。つまり、いちいちウインドウの右側に余計な設定項目などが表示されることはない、ということになります。

 これにより、ウィンドウをコンパクトにまとめることが可能となっています。特に、横幅をとることがありませんので、普通の24型くらいのワイド型ディスプレイですと、カレンダーアプリと横並びにして表示させることも決して不可能ではありません。

 それでは、タスクの設定はどのようにやるのかと言いますと、設定したいタスクをダブルクリックするだけです。これで設定項目が現れてきますので、そこから期限や「いつ始めるか」、あるいはサブタスク(チェックリスト)を設定することができます。タスクをカテゴリ分けしたいときは「プロジェクト」もしくは「エリア」という機能を使い、最終的にはドラッグ&ドロップで完了させます。

最後に

 実のところ、「Things」の機能はそれほど多くはありません。タスクにタグをつけることはできますし、プロジェクト機能も確かにあるのですが、いわゆる「フラグ」は立てられませんし、重要度を分かりやすい形でつけることもできません。「Things」にあるのは、ただのタスクの山といった印象です。

 ですから、タスクを拾い上げて、一つ一つ確実に処理していきたい方には向いていると思います。一方、タスクをどんどん記述していって、色々な方角から眺めていきたいという方は、「Things」ではなく「OmniFocus」をおすすめします。

 いずれにせよ、この「Things」も決して万人向けというわけではなく、人を選ぶツールだということは間違いなさそうです。Mac版については公式サイトで体験版が用意されていますので、興味のある方は使われてみてはいかがでしょうか。

Macでバリバリと作業したいならApple純正のテンキー付き英字配列キーボードをお勧めしたい

Apple AppleKeyboard(テンキー付き)-US MB110LL/B

Apple AppleKeyboard(テンキー付き)-US MB110LL/B

 先日、上のキーボードを某所で購入しました(Amazonではプライム会員限定商品となっています)。

 これまでは無線形式のミニサイズキーボードを何とか使ってきたのですが、有線形式の大きなキーボードに切り替えるのは無理があるんじゃないか、と思われる方ももしかするといらっしゃるかもしれません。確かに、有線だとどうしても置き場所の制約が出てきてしまいがちですし、フルサイズの大きさだとなおさら制約が厳しくなってしまいがちです。ですが、フルサイズにはフルサイズならではの良さがあるというものですし、これで作業の効率化ができるのならば、敢えてこれを使うのも手であろうと思います。そういうわけで、このような純正品を販売しているAppleには感謝してもしきれないと思います。

 さて、この純正キーボードを選んだのには、いくつか理由があります。

  1. 安物のフルサイズキーボードに比べますと、キータッチがあまり深くなくて済みます。東プレのRealForceのような深く押すタイプが悪いというわけではありませんが、結局のところ、私には合わなかったと言わなければなりません。
  2. 英字配列ならではの特徴なのですが、特にCtrlキーが右手で押せるように、左下だけでなく右下にも配置されています。これにより、例えばCtrl+1とかCtrl+F3とかがすごくやりやすくなっているわけですね。JIS配列だと右にはOptionやCmdがあってもCtrlだけはないことが多いですので、これは大いに助かります。
  3. 地味な機能ですが、USBの簡易的なハブとしても機能してくれます。と言いますのも、USBの差込口が二箇所、キーボードのスタンド部に位置しているのですね。これは本当に助かります。
  4. フルサイズだから当然の事かもしれませんが、矢印キーが押しやすくなっていたり、BackSpaceではないDelキーがあったりするのも便利です。もっとも、テンキーはあまり使いませんし(苦笑)、F13からF19という余分なファンクションキーにも、まだ何も割り当てていない状態なのですが。

 そういうわけで、特に2番目の理由から、作業の効率化の上昇には持ってこいと言わざるを得ません。これまでは左手でしか押せなかったものが右手でも押せるようになったわけですから、当然と言えるでしょう。ノートパソコン(というかMacBook)だと難しいかもしれませんが、もし使えるのならばフルサイズの英字配列キーボードを使いたいところですね。

 ただし、英字配列キーボードには、一つ大きなデメリットがあります。それは何かと言いますと、JIS配列には存在する「英字」キーと「かな」キーが、英字配列には存在しないということです。これら2つのキーは、英字入力モードとかな入力モードを切り替えるだけのキーなのですが、実はこれらがすごく便利だったので、バリバリ使ってきたのでした。

 もちろん、Cmd+Spaceで入力モードを変更することは可能ですが、あまり使いたくはないというのが実情です。ワンタッチでできていたものが二つのキーを押さなければいけなくなるというのは、地味に不便なことであります。

 この問題には、実は簡単な対処法があります。「Caps Lock」キーの挙動を変えてしまえば良いのです。具体的に言えば、「Caps Lock」がオフのときはかな入力モード、オンになっているときは英字入力モードにします。このような設定は、「システム環境設定」にて可能となっています。

f:id:kurogane_yama:20170514024116p:plain

 この「Caps Lock」キー、JIS配列の純正キーボードだとなぜか左下の部分にあって少し邪魔だな、と思っていたのですが、英字配列ではWindows向けキーボードと同様に「A」の左隣に位置しています。これだと適度に押しやすい部分と言えそうです。

 また、英字配列キーボードは、アルファベットや記号の配置がJIS配列とは若干異なりますが、そこはまあ、使い続けているうちに慣れてゆくものと思います。あまり神経質にならない方が良いでしょう(こだわりがあるのなら別ですが)。

 ともあれ、特にキーボードにこだわりのない方で、Macで作業効率化を目指しているのであれば、ここはひとつ、Apple純正の英字配列フルサイズキーボードを選んでみてはいかがでしょうか。

ブログのタイトルを変更しました

 題名の通りです。

 実のところ、最近は私生活が少しずつ忙しくなってきておりまして、同人に力を入れる余裕がなくなってきています。小説についても当分の間は諦めなければいけないかな、と思っている次第です(合間を見つけて書けるような体力や時間はあまりないというのが実情です)。

 一方で、Macを触れる余裕くらいはあるでしょうから、このままもう少し同人の問題点や思ったことなどについてああだこうだと語ろうかなとも思っていたのですが、私自身、これ以上語る気が起きなくなってきております。と言いますのも、私が言いたいことはだいたい今までの記事のような感じで、これから先もあまり変化してゆくことはないだろう、と思っています。

 そこで、とりあえずここはMacやそのアプリなどについて語ることに専念しようかと思います(もしかすると、先日の「Fire HD 8」のように別の話題が入ってくるかもしれませんが)。そのため、ブログのタイトルを変更いたしました。

 ちなみに、最近は「Mac Fan」という雑誌を電子書籍で読んでおります。なかなか面白くて良いですね。MacAppleへのアンテナを張るにも役立ちそうではありますし。

Mac Fan 2017年6月号

Mac Fan 2017年6月号

使ってみて分かった「Fire HD 8」のメリットとデメリット

Fire HD 8 タブレット 16GB、ブラック

Fire HD 8 タブレット 16GB、ブラック

 某日にセールをしていたので、Amazon純正タブレット「Fire HD 8」をこっそり買っていました。本当は「Kindle Paperwhite」が欲しかったのですが、「Fire」ではSDカードでKindleデータが取り扱えることを知って、まあ、Kindle専用端末であれば何でも良いよね、と思い購入。こうして使用を開始してから数週間が経過いたしましたので、使っていて思ったこと、感じたことなどを以下にまとめることにします。

 ちなみに、当方、Kindle系の端末を使用したことはないので、比較対象はiPadになってしまいます。

Amazonのサービスを使い倒している方なら十分におすすめできる

 まず、使っていて思ったのが、Kindleに限らず、ショッピング、ビデオ、ミュージックなど、Amazonにかかわるサービス機能がだいたい網羅されていて、手軽に利用できるようになっていることですね。さすがにAmazon製のタブレットであることはあります。

 例えば、この「Fire」も、本家Kindleシリーズと同じくKindleオーナーズライブラリの対象端末になっています。また、ショッピングをしていれば、それに関係する通知はどんどん来ますし、Amazonからのキャンペーン情報も時折配信されます。プライム会員であればビデオを楽しむことも容易です。

 一方で、導入できるアプリの量はお世辞にも多いとは言えません。一応Androidベースの「Fire OS」が搭載されているとのことですが、Google Playから直接アプリを持ってくることはできません。Amazonに登録されているものしか使用はできないのですね。Amazonのサービスをどんどん使ってほしい、ということなのでしょう。

 なので、Amazonのサービスを常日頃から利用している方なら十分におすすめできますが、たまにしか使わない人、そもそもショッピングしかしない人は無用の長物になるかと思います。

電子書籍iPadよりは読みにくい

 肝心のKindle書籍なのですが、「安かろう悪かろう」の言葉がぴったり当てはまる印象を受けました。「Fire HD 8」のディスプレイの質はiPadよりも随分劣っていまして、それこそ「何とか読める」というレベルです。少し見るくらいだけならともかく、長時間読み続けていると確実に目を疲れさせるものとなっています。

 また、Amazonの公式情報によると、外部ディスプレイに接続するのは不可能になっているとのこと。事前に調べておけば良かったかな、と思っても後の祭りですね(苦笑)。

 じっくり電子書籍を読むのなら、iPadのままにするか、もしくは本家Kindleを買った方が良いかもしれません。

バッテリーの持ちはそんなに良くない

 バッテリーについては、iPadほどはタフではない印象を受けます。十五分くらいKindle書籍を読み通すだけでも、数%あっという間に減ってしまいます。これも「安かろう悪かろう」と言うところでしょうか。

 公式情報では12時間となっていますが、正直、そんなに使えるものではないかな、という印象が強いです。

最後に

 このタブレット端末は、あえて言ってみれば「Amazon系のサービスを手軽に楽しみたい」という方向けのものだと思います。それ以上のものを求めるのはやりすぎだと思いますし、あまり期待しない方が良いでしょう。

 価格相応という言葉がありますが、高額だからこそ何でも柔軟にこなせてしまうiPadと比べますと、「Fire」は私にとってはパンチ力に欠けているものとなっています。冒頭に書いてあるように、きっかけはKindleだったのですが、それなら最初から読書に最適化されている本家Kindleを買っていた方が良かったかもしれません。

 とは言え、「Fire」ではプライムビデオ等も楽しめるようにはなっているので、時間があればそちらの方も楽しんでみようかな、と思います。

いくら不便でも私がUlyssesを使う理由

Ulysses

Ulysses

  • The Soulmen GbR
  • 仕事効率化
  • ¥5,400

Ulysses

Ulysses

  • The Soulmen GbR
  • 仕事効率化
  • ¥3,000

 Ulyssesと言えば、MaciPadiPhoneで定番とも言える執筆用アプリです。特にMac App Storeにおいては幾度となく推されているもので、Macユーザであれば一度は目にしたことがあるかと思います。

 ただ、Ulyssesは決して全てのシーンにおいて使いやすいとは言えません。かの有名なScrivenerで搭載されている数多くの機能がUlyssesにもあるというわけではないですし、ファイル管理機能ですらEvernoteに毛が生えた程度になっています。簡単なメモをとるにも時間がかかるもので、そうしたいならむしろiA WriterやBearを使った方が手っ取り早いでしょう。特にBearはUlyssesにはない機能が少なからず搭載されていて、非常に魅力的なアプリだと思います。いずれにせよ、Ulyssesは痒い所に手が届きそうで、なかなか届かない、言ってみれば器用貧乏という風な印象があります。

 それでも、私はあえてUlyssesを使い続けていこうと思っていますし、現にそうしています。それは、決して苦行をしたいからではありません。ScrivenerやBearなどには見られない、Ulyssesならではの利点があるからです。

 Ulyssesの最大の武器と言えば、「書く」という行為に没頭できるように機能的に特化されている、という点です。少なくとも執筆機能において気を散らすようなものは見受けられません。これこそ、私がUlyssesを使い続けている一番の理由でございます。

 具体的にどういうことかと言いますと、Ulyssesはプレーンテキスト形式しか扱えません。さらに、物を書いている最中は余計なものが表示されないようになっているのですね(設定で若干変えることはできますが、基本的にはそのようになっています)。必要最小限の道具でもって文章を書いているという感覚を味わえます。一方で、他のアプリと違い、あれやこれやと道具を投入することはほぼ不可能です。

 私はひとまず文字という形に残すことができれば良いと思っていますので、ScrivenerやOmniOutlinerで見られるリッチテキスト形式は、はっきり言って煩わしいと感じています。とりわけScrivenerはMS Wordと違ってなかなか融通がきかないようになっており(逆に言えば、昨今のMS Wordはかなり使いやすくなっていると思います)、テキストを書いてゆく上でかなり厄介に感じられるのです。Ulyssesではそういう心配は一切無用です。ただひたすらに書いていければ、それで良いのです。

 但し、Ulyssesにできるのは「文章を書く」というところまでです。書いたものをPDFやMS Word形式などへ出力することはできますが、デザインがどれもこれも日本向けではなく(元が外国製だから仕方ないですけれども)、お世辞にも素晴らしいとは言えません。なので、特に長文を整形しようと思ったら、必要に応じてMS Wordや一太郎などに直接コピペするしかないのが辛いところです(一応プレーンテキスト形式への出力もできますが、使うことはあまりないでしょう)。

 ところで、Ulyssesに一番近い感覚で書けるものと言えばiA Writerでしょうが、どちらを選べば良いかは、正直に申し上げて、非常に難しいです。こればかりは好みの問題と言わざるを得ません。確かに採用されている記法はiA Writerの方が豊富だと思います(Ulyssesはテーブルやタスクを記述できません)。一方で、見た目を間接的に編集できるのはUlyssesの方が上です(iA Writerはフォントや行間が固定されてしまっています)。その他にも機能的に色々と違いがありますから、実際に両者ともに使ってみるしかない、というのが実情ですね。

 何はともあれ、Ulyssesは「まずは文章を一つや二つ書いていきたい。話はそれからだ」という考え方の人にはうってつけのツールだと考えています。これこそがこのアプリの肝となる部分でしょうし、書くことそのものが好きな私にとっては、大きな魅力のように感じられてくるのです。

創り手はSNSのアカウントを持たない方が良い

 昨今はTwitterやpixiv、あるいはInstagramといったSNSの台頭で、間接的にではありますが、創り手(同人作家も含みます)の生き様というものを容易に感じることができるようになりました。これにより、以前は遠く隔てられていた創り手と受け手(創らない人)との距離が、ここ数年でぐっと縮まってきたのではないかと思います。以前は一流の創り手と言うと、私のような凡人にとっては、雲の上にいるも同然の存在のように感じられましたが、今では、創り手と受け手が同じフィールドに立つことも珍しくなくなりました。創り手が雲から降りてきたか、それとも受け手が次々と雲に乗ってきたかは分かりませんけれども、とにかくそういう現象があちらこちらで見られるようになってきたのではないでしょうか。

 ですが、このような流れは本当に好ましいと言えるのでしょうか。私の過去の記事をご覧になってくださっている方にはすでに自明のことだと思いますが、私自身はこういう風潮には断固として反対です。そもそも、創り手はあくまでも作品で勝負すべきものであります。例えば土曜日や日曜日に何を食べたか、もしくはいついつにどこへ出かけたか、何を買ったか、といったような瑣末な情報を常日頃発信するようなことは、できることなら、控えていただきたいところです。作品をどのようにして創り上げるかを公開するのも、創り手になることを志望する者にとっては有用かもしれませんが、そうでない方には、はっきり言って、弄ばれるだけの都合の良い玩具に過ぎないと私は思っています。

「都合の良い玩具」という言葉が出ましたが、創り手に限らず、いわゆる「著名人」本人のアカウントは総じてそういうものではないでしょうか。SNSにおける面白さと言えば、作品をポンと公開してお目にかけるということではありません。そういうことなら小説本や画集などに目を通したり美術館や映画館に足を運んだりすれば良いのですからね。そうではなく、著名人たちがこぞって私生活を公の場に晒すこと、これこそがSNSの面白さのうちの一つなのではないかと思います。*1

 ですが、本来ブラックボックスの中に入っているはずの私生活やら考え方やらを見せたところで、いったい何になるというのでしょうか。受け手の人たちから共感を受けることはあるかもしれません。創り手と受け手とが以前よりもフレンドリーになることも考えられるでしょう。けれども、一方で、創り手の発言が受け手の気に入らず幻滅してしまう、なんてことも続々と起こり得ます。しかも、見識の稚拙さなどによって幻滅がドミノ倒しのように起こり、「炎上」にも繋がります。この「炎上」という厄介者、いったい何がその源となるか分かったものではないから、怖いものです。

 ですから、余計なことを言って火種を撒かないようにするためにも、SNSはなるべく使わないようにしたい、というのが私の姿勢でございます。創り手たちがSNSのアカウントを手放してくれれば、それが一番良いのです。とは言え、営業などのためにどうしても使わないといけないケースはあるでしょう。それでも、最新作の宣伝など、必要最小限度に留めておくべきです。息抜きがてら私生活を見せていた人たちは、もっと別のことに時間を使ってほしいと思います。

 作家集団はクローズドであれ、と言いたいのではありません。必要以上にオープンでありすぎるのがSNSのもたらしてくれた問題であるわけで、オープンとクローズドの区別がしっかり出来ていれば問題ないのです。創り手たちが普段どういうことをやっているか分からないからこそ、彼らが提供している作品だけで人間性などを判断するしかなく、その結果彼らに尊敬の念を抱く。それで良いではありませんか。もし創り手の性格や所業等に問題があれば、自然と溢れ出てくることでしょう。

 繰り返しますが、創り手は作品で勝負すべきものです。どれだけ多くの人と繋がっているか、どれだけ大きな評価点をもらっているか、どれだけ良い暮らしをしているかは、はっきり言って問題外でございます。プロ野球だろうが草野球だろうが、スポーツをやるからにはそれなりの結果が求められます。学校のテストの点が悪い言い訳として、遠くの地へ旅行に行っていたと言っても、おそらく通用しないでしょう。それと同じ理屈です。

 そもそも創り手に限らず、どんな人であれSNSを使うのは、本質的には大変難しいと思います。多くの情報が流れてくる中で、それらのうち、どれが自分にとって有用かを判断するのは困難を極めます。どうでも良い瑣末な情報が多数で、自分にとって本当に役に立ちそうのはほんの少ししかありません。それに、全ての情報が正しい(正確という意味です)とは限らないです。これらの条件がある中で、全ての情報に目を通しつつ、コントロールしてゆくというのは、おそらく無理でしょう。ほとんどの場合、ただ疲れるだけで終わってしまうのではないでしょうか。これこそ、いわゆる「SNS疲れ」の原因の一つだと思います。もっとも、正確な情報がどういうものであるか、その目を養うための練習にはなるかもしれません。しかし、そんなのはTwitterInstagramを使わなくてもできます。

 ともあれ、多くのリスクを背負ってでもSNSを使う理由など、もはやありはしません。多くの学校や企業などでは、SNSで余計な情報を垂れ流さないように、との教育を受けていると思います。同じように、創り手も余計なことを書かないでいただきたいです。ですが、SNS自体も企業のうちですから(忘れられがちですが)、あの手この手で書く意欲を掻き立てようとしてきます。この誘惑と常日頃戦って過ごすくらいなら、そもそもアカウントを持たないのが最善策というものです。「SNS疲れ」やSNS上での論争を起こしたくないなら、SNSを利用しなければ良い。単純な理屈です。

*1:かつて上岡龍太郎という芸能人が繰り返し言っていましたが、テレビの面白さと言えば、玄人が私生活を見せるか素人が芸をするか、この二つに一つ、なのだそうです。これはインターネットにおいても全然変わっていないのではないでしょうか。

なぜ私は同人小説を書こうとしているか

 はてなブログの「今週のお題」が「自己紹介」ということで、せっかくの良い機会ですし何かしら自己紹介めいた記事を書こうかと思っていたのですが、普通の単なる自己紹介では面白くありません。なので、ここは一つ、どうして同人小説に取り組もうとしているかについて、簡単に書いてみようと思います。

 もっとも、私はいわゆる一次創作(オリジナル)の小説にはほとんど取り組んだことがございません。これまでに主に取り組んできたのは二次創作の方です。どういうジャンルであるかと言いますと、プロフィールのアイコンから想像がつく方もいらっしゃると思いますけれども、ポケモンポケットモンスター)です。

小説を書き始めたこと自体は随分前から

 もっとも、最初からポケモンだった、というわけではありません。初めのうちは、何とは申し上げられませんが、別の作品の二次創作小説を書いていました。とは言っても、今から考えるとかなり稚拙で、そこら辺りの小学生や中学生が考える程度のものに過ぎませんでしたけれどもね。それに、ありがちな話ではありますが、完結までに至らなかったことも多々あったものです。

 このような、妄想にまみれただけの〝作品〟を書き始めたのは、もう十数年前になるでしょうか。今と比べると、確かに私は下手なものを書いているだけでしたけれども、それでも楽しかったのは間違いないと言えます。色々苦労はありましたが、あの頃は幸せだったのでしょう(周りの世界を知らないという意味でも)。

 ただ、そこから徐々に積み重ねていってレベルアップ、と行きたいところだったのですが、別の趣味に嵌ってしまって、色々と手をつけてしまったがために、しばらくは作品を創ることから離れてしまっていたのですね。なかなか、小説一筋、というわけにはいきませんでした。

 もしここで小説にかまけ続けていたら、また歴史は違っていたのだと思います。若いうちから物をずっと書き続けている方と比べると、私のように数年単位のブランクがあるだけでも、実力面で大きな差があることを痛感させられます。この差をどのようにしても埋められそうにはないですから、今の時点から頑張ってゆくしかないのは、言うまでもないことですが。

ポケモンの小説を書き始めたのは十年ほど前の話

 つい昨日のような出来事ではありますが、私がポケモンの二次創作小説に手を出したのは、かれこれ十年ほど前の話になります。

 きっかけは単純なものです。当時閲覧していた某コミュニティサイトで、私も書いてみたいと思った、というものなのです。ここで我慢しておけばまた話は違ったのでしょうけれども(そして、私は我慢することには賛成したいと思っています)、抑えが効かず、相も変わらず稚拙なものをいくらか書いて投稿しておりました。その中には完結したものもありましたし、結局完成しなかったものもありました。

 ここで順調に活動が続けられれば良かったのですが、私生活で悪い出来事が立て続けに起きてバタバタしてしまった結果、同人活動にも悪影響が出てしまいました。何とか作品を創り上げようとはしましたけれども、お世辞にも良いとは言えない精神状況では、まともに手につくはずなどありません。結局、他人にも散々迷惑をかけてしまい、一旦は同人から手を引くこととなりました。

 なお、この時点で制作していた某作品がきっかけで、とあるポケモンのことが好きになっていました(今はそれほどでもありませんが、思い入れ自体は深いものがあります)。二次創作によって愛着が増してゆく、という話は決して否定できるものではありません。

 ともあれ、離れてからしばらくした後、pixivである作品(もう公開していませんので作品名は伏せておきます)を見つけた結果、またしても作品を創りたいという欲求が沸々と湧いてきたのですね。それで、当初Twitterでアカウントを所有していた私は、様々な同人者と知り合いになることを目指しつつ、作品を創り上げようとしていました。

Twitterに振り回されてばかりだった同人活動

 同人活動は一見好転しそうに見えていたところですが、結局のところ、Twitterこそが諸悪の根源だったと言わなければなりません。少なくとも、私にとっては大変に相性の悪いツールでした。

 私のTwitterに対する姿勢は、以下の記事を書いて以来、ほぼ変わってはいません。

 どうも、Twitterを見ていると、創作活動に真に打ち込みたいというよりは、創作をダシにして交流したいだけの人が目立っています(恥ずかしながら、私もその一人だったと認めなければいけません)。Twitterで受ける作品も、作品の質そのものよりも、むしろネタの即興的な面白さの方が重要視されるように思います。これでは創作活動もクソもあったものではないです。向上心なんていうものはなくなってしまいますし、刹那的にしか物事を考えられなくなってしまいます。これがTwitterのあまりよろしくないところです。

 上の文章について少し補足を入れようと思います。

 Twitterにおいては、色々な方が自分の作品をアピールしようとしています。それ自体は悪いことではありません。できるだけ多くの方に見てもらいたいという気持ちは誰しも持っているものでしょうからね。ただ、どれだけ大勢の人に受け入れられているか、だけが全てではないのです。もしかするとTwitterでは全く持て囃されていない作品こそが傑作である可能性も否定できませんし、Twitterで有名な人だからと言って良い作品を書けるとは限りません。むしろ、自作のアピールやそれをダシにした交流に夢中になりすぎて、他の部分に悪影響が出てしまっては、それこそ問題というものです。

 もちろん、私生活あっての同人活動なので、私生活の方を立て直そうとするために同人活動から一時的に手を引くということは良いことです。私自身、プライベート面ではトラブル続きだったので、本来ならば同人活動よりも私生活を重視すべきでした。ですが、Twitterにおける同人界隈では、なぜか、どんな事情であれ創作を止めるのは悪いことだという風潮がありました(多分今でもそうなのだと思います)。ですから、多くの人はこぞって「作品を創っています」アピール(あるいは「創ろうとしているんです」アピール)をやっていたものです。私もそうでした。どうしてこのようにしてしまったのか、今から思えば不思議でなりません。

 はっきり言って、「私は創作しているんですよ」アピールは、周りから見ればうざったいの一言でございます。そんなものに手をつける暇があったら、実際に作品を創る方がよほどマシです。作品や姿勢のアピールは後でいくらでもできますが、優先順位としては創作そのものよりもはるかに下だと思います。しかしながら、大事なものが何であるかを見誤らせてしまう作用がTwitterにはあるようです。私生活を立て直すのが先だったのに、それを先延ばしにしたまま、Twitterにかまけていました。これでは良い作品ができるはずもありませんよね。

 ただ、周囲の方々のお力添えもあって、徐々に暮らし向きが上がってきた私は、おのずと上のようなことに気づきました。そして、今まで私がTwitter上で付き合ってきた方々は、実は単に意識が高いだけの人たちだったのではないか、とすら思うようになりました(本人たちにはその自覚はないようですが)。Twitterばかり見ていても、生活が一向に良くなるわけでもないですし、フォロワーさんたちがいざという時に駆けつけてくれて、身も心も助けてくれるというわけでもありません(できてせいぜい助言くらいでしょう)。

 そう感じた結果、私はTwitterを離れることができました。今は、何とか仕事を頑張りつつ、自分のペースで創作に取り掛かることができています。以前よりもはるかに良い生活ができていると言わなければなりません。

私は書くことが好きだからこそ小説を書き続けている

 上にもあったように、私は途中で何度か小説の同人活動からは離れています。ですが、今でも何とか続けようとしているのです。それはなぜか、考えてみることがしばしばあるのですが、何度でも同じ結論に行き着きます。すなわち、私は書くことそのものが好きだと言わざるを得ません。そうでなければ、どこかでパッタリとやめているはずでしょうから。

 大勢の方々に見てもらおうとか、少しでも感想が欲しいとか、そういったことよりも、書くことそのものに喜びを感じています。ですからブログの記事だって好き好んで書いているわけですし、小説のネタも思いついたところから書き出していっています。承認欲求がないわけではありませんが、私自身が本当にやりたいのは、そういうところなのでしょう。

 作品の評価自体は、私自身はすぐにされなくても良いと思っています。一年後や十年後、あるいは百年後に、どこかの誰かが目をつけて、「こりゃ良いものを読んだ」と思ってくれれば、それで良いのです。

 断筆したくてもできない性質の人間であることは、私の精神構造上、明らかな話であるように思います。言い方を変えるなら、「文章を書く」という行為に並々ならぬ拘りを持っているようです。もちろん、仕事や私生活は疎かにはできませんから、適度に折り合いをつけていきたいところではありますが、好きなことを無理にやめるわけにもいきません。少しでも良いから、周りに振り回されず、自分のペースで何とか続けていこうと思います。